ブルーライト害悪説ってなんだろうか?
「ブルーライト」の正体とPCメガネの効果(まとめ) - Miuran Business Systems
まあ、液晶の調整については正しいことを言っていると思うけど。
データを引用してる部分とか嘘や誤解の塊で見ていられませんね。
EIZOのデータを引用していますが、あれはブルーライト害悪説とやらを否定するようなデータではありません。
[画像] ナナオ、ちらつきを低減したスタンダード液晶5機種 (17/24) - PC Watch
1.旧来からの液晶ディスプレイに使われていたバックライトの差(CCFLとLED)によるブルーライトの総量は大差がない
[画像] ナナオ、ちらつきを低減したスタンダード液晶5機種 (18/24) - PC Watch
2.標準(通常200cd~300cd程度が主流)以下の輝度設定120cd程度に輝度を下げて、色温度を標準的な(6500K)から(5000k)に設定することでブルーライトの総量は抑えられる。
という点です。
よく考えたら、ブルーライト害悪説の内容は「液晶ディスプレイから有害な光がでており、液晶ディスプレイのメーカは何の対策もしていない」とレッテルを貼っているのと同じです。そりゃメーカーは反論しますよね。
このデータは標準状態ではブルーライト出まくってるってメーカー側からの報告です。
標準以下に調整することでブルーライトは抑えられるだけの話です。
そもそもこのナナオの報告は自分とこのディスプレイのアピール記事です。まあ、明らかにEIZOのステマですね(冗談)
ブルーライト対策だけでは不十分?――ナナオが「PC画面と疲れ目の関係」を調査 (1/2) - ITmedia PC USER
ナナオは液晶ディスプレイからブルーライトを減らす方法として、色温度と輝度を下げる設定を紹介した。実際にスペクトル特性を測定したところ、色温度を初期値(6500K〜7000K)から5000Kに下げることでブルーライトが約20%減少(ピーク波長)、輝度を高い状態から適切な状態(約120カンデラ/平方メートル)にセットしたうえで色温度を5000Kに調整すると、ブルーライトは約1/6まで減少したとする。
現状では多くの液晶ディスプレイが輝度の手動調整機能を備えているが、色温度の調整ができないものも少なくない。これに対して、ナナオの液晶ディスプレイはAuto EcoViewによる自動輝度調整機能でユーザーが操作しなくても最適な明るさを実現し、色温度はケルビン値で合わせられるほか、Paperモードを選択することで輝度と色温度が一気に下がってブルーライトを少ない状態にできる、と森脇氏はそのメリットを強調した。
今、目に害を与えると言われているブルーライトはEIZOの液晶なら簡単に防御できます!!!(ブルーライトは悪。ですやん。
僕はCCFLとLEDのバックライトで差異がないのであれば、ああいったPC用のメガネって液晶全体で効果あるんだー、LED限定じゃないのね。ってむしろ販促に思えます。
さて、元記事に戻ります。
記事中では「液晶ディスプレイはその構造上、ブルーライト成分がブラウン管に比べて非常に多く含まれている」と書いてあります。しかし見逃す事のできない一文を発見しました。それは「ディスプレイの輝度を最大にして測定」の部分です。グラフをよく見ればわかりますが、「ブルーライト」だけではなく緑色光も赤色光もブラウン管モニタに比べ、信じられない量を放出しています。しかしこれは常識的に判断すれば、「液晶ディスプレイはブラウン管よりも明るい設定にする事ができる」というだけの事でしょう。
一般にディスプレイの輝度は標準、あるいは最大に設定されています。ノートPCとかでもそうですね。
なので、最大にして測定とか前提としておかしい、などとは断定できません。
それは「液晶ディスプレイは輝度を低めに設定するのが当たり前だ」という単なる偏見に過ぎません。
後、基本的にグラフの軸に「数値がない、単位がない」ものを見て判断するとかありえません。
「他の波長の光が沢山出ていようが本論には全く関係ありません」し、信じられない量か出ているかどうかはあのグラフからはわかりません。
なんというか・・言いたいことを読み解くのが難解な文章ですね。
http://d.hatena.ne.jp/higuchi1967/20111208/1323312532
なぜ橋下の発言を極解した上で発言をするのだろうか?。
橋下自体の行政に文句があるのはわからなくもないけど。なんだか橋下が発言主導で具体性にかけるのをいいことに反論も具体性のかけた水掛け論になっても良いと思ってる馬鹿が多すぎやしないか。
1.「文化の否定をしたこと」になって文章を書いているが、それはいつどこでの話なんでしょうか? これが成り立たなきゃ議論の余地もありません。
#仮想敵を作って議論するというのはいつも橋下さんを批判する方がこぞって批判するやり方ですがね。
2.さて、大阪の治安が悪いというのは一体全体何を元にした主張なのか知りませんけど、それはそれで大阪市民に喧嘩売ってるんですね。
#一部を極解して議論に持ち込むのも橋下さんのやり方ですね。
3.大阪市と大阪府となんだかごちゃごちゃしているんですけど、何の話をしたいんですかね。阪神タイガースとかたこ焼きって大阪市の文化なのですか?
#いやまじで、ここはぐっちゃぐちゃですよ。
本気で文化に対しての危機を持っているのであれば議論に立てるような素材を持ってないと話になりませんよ。
予算を握ってる人間に説明が出来ない時点でダメなんです。
十分な素材を渡して間違った選択をするのであればそれは首長の問題ですが。
こういった具体性のまったくない、個人の思い入れで文化に対して危機をもたれても、迷惑なだけでしょう。
寄生虫と揶揄したくはないのですが、金の無心をしてるようにしか見えないのですよ。
市民の血税を注ぐ価値はあるという説明をすべきであってiPadやらゼロ年代やらその手のキーワードをちらつかせて印象論で進めたいのであれば、それこそ橋下の進め方そっくりでしょう。
具体性のない建前を振りかざしてもそれは意味ないと思うよ。
<編成方針および番組制作について>
○フジテレビでは、放送法に定められた自社番組編成の編成権を堅持した上で、広く視聴者ニーズにお応えできるような番組制作・編成を行っております。韓流ドラマが多いのでは?というご批判がありますが、韓国制作の番組やアメリカ制作の番組も含め、どのような番組を放送するかは、総合的かつ客観的に判断し決めております。
○また、グループ会社が音楽著作権を所有している楽曲を、番組やイベントなどで使用し宣伝行為を行っているというご意見がありますが、グループ会社の楽曲かどうかではなく、番組やイベント内容に適した作品を使用しています。上記の番組編成、制作方針同様、制作の自主性を重んじ、より良い番組作りのために効果的な楽曲を使用するという基本方針を大事にしております。
『総合的に客観的に判断して』、って具体的にどういった基準なのよ?というところになんら回答がない。
『上記の番組編成、制作方針同様、制作の自主性を重んじ、より良い番組作りのために効果的な楽曲を使用するという基本方針』
こんなものが基本方針だったら恐ろしいのだがw,自主性を重んじてるだけだったら音楽決める人が暴走してもなんら管理できないことになるんだが?w。
セシウムさんみたいなことが起きていても知らないって基本方針なんでしょうか?
<スポーツ中継の表彰式の放送について>
○スポーツ中継では、リアルタイムで制作し放送するに当たり、次々に入ってくる膨大な映像、情報を処理するための判断、作業が要求されます。その結果、番組の放送時間の制約、もしくは映像や情報の入ってくるタイミングなどで、放送できない情報が出るケースもあります。
フジテレビが近年毎年放送している『世界フィギュアスケート選手権』で、日本の国旗掲揚、国歌斉唱シーンの放送が意図的にカットされているのではないかというご指摘があります。
これについては、過去5大会のうち、3大会(2008年、2009年、2011年)は放送をしています。2007年と2010年は競技の模様を優先し、優勝者へのメダル授与シーンのみを放送しています。これは、あくまでも放送時間および番組構成上の理由であり、それ以上の意図はありません。
他のスポーツの国際大会の放送で同様のことがある場合も上記と同じ理由によるものです。
そもそも、どういうシステムで意図的でないと証明するつもりなのかがわからんのだが?
3大会は放映してますし、たまたまです。と言いたいのはわからなくもないが、こんな適当すぎる回答で鎮火できると思っているの?
当たり障りの無いような具体性のかけた印象的な文章を書くことに注力したようですが、こんな具体性のかけた番組制作を行い、管理しているのですと自分らの恥を上塗りしているだけだと思うんだが。
いや、ほんと管理なんてできないよー俺たち馬鹿だから!!
と開き直ってるくらいにしか読めないよ俺。
なんだかなよくわからないなあ
電話で作業効率が下がるとか。メールでアポとってくれとか。
いろんな前提があるからなんともだけど。
そもそも仕事上、突然のインターラプトというのは当たり前だと感じてる人間にとってみれば余り気にならないような話題な気もするし。そういったインターラプトをいかに優先順位をつけて優先度の高い仕事をこなしていくのかというのが仕事の仕方だと思っているのもあるしなあ。
で、電話、メールその他いろいろなコミュニケーション手段を目的に応じて使いこなすというのは大前提としてあるよね。
その手段それぞれに有意差があるわけでその判断は人によって千差万別だろう。
そもそも仕事の出来る人は電話でもメールでもきちんと意思疎通ができるものだし、無駄な電話をする人はメールであっても同様である。
手段を電話からメールに変えたところで本質的な問題の解決には結びつかないだろう。
電話で作業効率が下がるというのであればそもそも電話を取らなければいい訳で、それだけで良い。アクセスしてくる人が軒並み電話をやめてメールにしてくれたら作業効率が格段に上がるのだというのであれば是非数字で示していただきたい。
結局メールでもインターラプトするのであれば本質的な差異はない。
集中した時間が欲しいのであればその時間を作れば良い。それが最適解であって小手先の対処なんて無意味では?
電話の数が多い→メールの数が多い。と遷移しただけでなんの問題解決になっているのか理解出来ない。
先に言ったように電話、メールなりを適切に選択することが大前提であって内容を解決するのは電話、メールの手段ではない。
電話が嫌い、メールが好きとかいうのは個人の趣向の問題であって全体のシステムの問題ではないだろう。
単純に読んじゃうと俺には集中したい時間があるからそれを見越してアポとってから時間調整の上アクセスしてこいや。とかな見方もできるけど。
他人からはあなたの集中したい時間なんて分からないし、一生わかり用がない問題だと思うので、無駄な努力はしたくないですね。電話メールの問題じゃなくてあなたのスケジュール開放のだけの話に思えたりしますし、何か違うんじゃないのかなー。
ってな感じ。
追記:10/1
http://togetter.com/li/52775
はあ?あんたの突然の定義を述べよみたいな話になってるよなあ。
いや、「本人の提示しているメールでアポがなんら解決策にはなっていない」という指摘が山のようにきたり、電話取らなきゃ良いだけじゃんって指摘が来てもそれを意に介さないというのもどうなんだろうね。
他人の時間を奪っている気を持てとか営業がバカとか、そんなの本筋には全く関係ないよね。
なんつか問題を解決したい気はないように思える。
すれ違いを楽しんでるだけというかね。
暇?と言われると感じる不快感
というのは少なからずあるんだろうなあと思う。
とても忙しい人に「あのー今日暇ありますか?」と聞いたらムッとして「暇なんてない!」と言われたことはないだろうか?
「暇」という言葉自体にはネガティブな面があって時間に無駄があって何もしていないような時間はないのか?といったような感じで受ける人が多いんだろうな−と。
忙しい人には「暇?」というよりかは「〜のために時間を割いてくれませんか?」(無理矢理にでも)といった依頼の方が聞いてくれることが多い。それが必要ならば割いてくれるし必要でなければ割いてもくれない。ただその判断基準が明確になるだけ依頼する方は楽だ。暇なんてないと突っ返されるよりかはね。
ネットで僕はよく「暇だなー」とコメントすることがある。
それにはほんとに「暇だなー」と思うこともあるんだけど。
ある意味では褒めていてある意味では貶している。
褒めている方では「ほんと思い入れがあるんだね。そういったことに貴重な時間を使ってまで」ということがある。
で貶している方では「こんな糞にもならないことに何時間使ってるんだろうね。ほんと暇人だね」といった風。
正直後者の方が多いんだけどね。
暗に言わないけど。正直答えを求めてるようで求めてない方向に力を入れている人って多いので。
さて、みなさんは「暇?」ってどんな意味で使っていますか?
だったらなんで選挙で投票したら政治に文句を言って良いの?
って疑問に思わないのかね。
投票した人間が受かりませんでした。
→だから当選者とは違う意見を持っているので批判しても良いです。
→→別に投票してないから意見を持ってない訳じゃない。
投票した人間が受かりました。
→支持した人間なんだから文句は言います。
→→別に投票してないから意見を持ってない訳じゃない。
政治や政策に文句を言うのは国民として当たり前じゃないの?
なんで投票という義務を捨てただけでそんな意見を言うことが禁止されなきゃならないの?
別に投票した奴に文句言われる筋合いも無いし、糾弾される覚えは無いだろ。
例えば、人を殺したら黙秘権は剥奪されるんですか?
政治への意見なんて奪われたり蔑まされたりするもんじゃないだろ。